ノー!と言える自分=「良い子」をやめよう

2014-08-11

say-no150人から頼まれたり、自分のところに来る仕事の依頼や提案などに対して、いつも「イエス」と言って引き受けていませんか?
「ノー」と言わない方が、心が広く、人当りが良いと思ってもらえるから?
しかし、そのせいで、あなたはストレスやう精神的な疲れを貯め込んでいませんか?
どんな時でも、どんな依頼に対しても、何にでも「イエス」と引き受けて、誰に対しても「良い子」でいようという姿勢は、あたなの心を疲弊させます。
  
ノーと言えずに「良い子」でいようとする姿勢は、うつ状態に陥りやすい人の思考パターンによく見られます。

能力の限界とやる気の範囲にとどまる

自分の能力や時間には限界があるはずですし、やる気が出せる範囲も限られているはずです。
そんな自分の限界を知り、するべき仕事を、その範囲の内側にきちっと収めておきたいものです。
そうすれば自分の時間や精神的健康、肉体的健康を守ることができるのです。
 
自分の皿にあれやこれや何でも乗せ過ぎるとひっくり返してしまいます。
引き受けられる分だけを喜んで引き受けて、残りは丁寧に「ノー」と言って断りましょう。
やる気と能力が発揮できる仕事の範囲に集中しましょう。
「ノー」と言って断った分、時間を空けて、自分のバッテリーを充電したり、本当に自分がしたいことをするのに使いましょう。

相手の期待値を下げておく

後から次々に仕事を積み上げられていくのを避けるために、なるべく早く(できれば最初から)限界を宣言しておく、というのが最も手っ取り早いでしょう。
 
例えば、就業時間の限界であれば、私は5時半以降は健康上(家族の関係で)仕事ができません、と宣言してしまうことです。
そして5時半になったら必ず仕事を止めて帰る。
 
実は、期待値を低くしておけば、たまに、その期待を上回ることをしてあげると評価が高くなるというおまけも手に入ります。
 
既に、相手の要求にアップアップしている場合は、少しずつ期待値を低くしていくのが良いでしょう。
残業しないで帰る日を、 最初は、「金曜日だけはどうしても」でスタートし、しばらくしたら「水曜日と金曜日」、さらには「月曜日と水曜日と金曜日の三日間]、さらに毎日という風に。

いい顔がしたい?良い子になりたい?

基本は、能力以上のことはしない、やってくれと言われても、やりたくない分は引き受けない、ということです。
 
やりたくない仕事をついつい引き受けてしまうのは、ほとんどの場合、やってくれと指示あるいは依頼してきた人に対して、いい顔がしたい、 「良い子」になりたいからでしょう。
いい顔をしておかないと、後々、直接あるいは巡り巡って間接的に手痛いしっぺ返しがくるのを恐れているからでしょう。
 
日本の社会ではこの問題はさらに深刻です。
会社で、自分のやりたい分だけ仕事して、あとは出来ませんと言うと、仲間として認められない、組織の一員としの資格に欠ける、と評価されるのではないかと恐れてしまいます。
 
恐怖があると、なかなか「ノー」と言って断ることができません。

相手の要求?それはあなたの問題では無い

良い顔をしなかったからといって、相手の気分を害するのではないかと、恐れる必要はないのです。
 
「ノー」と言って拒否すれば、確かに相手は気分を害するかもしれません。
しかし実際のところは、拒否してみないとわかりません。
加えて、相手を喜ばすつもりで、要望を受け入れても、相手が必ず喜ぶとは限りません。
 
要望を拒否しても、別の部分で相手を満足させれば相手が喜ぶこともあります。
 
結局、「イエス」と答えるか「ノー」と答えるかによって、相手が喜ぶのか気分を害するのかは決まりません。それは相手次第であって、あなたはコントロールできないのです。
これはあなたが責任を感じたり、罪の意識を背負ったり資するべき問題ではないのです。

この理屈で割り切ろう!

ここで割り切りたいのに割り切れない場合は、次の理屈を頭に叩き込みましょう。
 
上司や仲間の気分を害するのを恐れる余り、自分でストレスを抱えたり、自分の気分を害してしまうほど、他人思い、仲間思いである必要は全くありません。
他人をハッピーにするために自分が犠牲にならなければならない理由などありません。
他人の幸福のために自分を不幸にする行為は、自己犠牲でも献身でもありませんし道徳的でも倫理的でもありません。
他人を喜ばすために自分を犠牲にする行為は、こと「仕事」に関しては、全く場違いです。
 
何故なら「仕事」はお互いにお互いの価値を提供しあってその対価としてそれぞれがそれに見合ったお金を貰うための場でありシステムであるからです。
他人の要望を引き受けながら、自己犠牲や不幸というネガティブな代償を支払わなければならない責任も義務も、そこには存在しません。

イエスとノーを切り分けて、あなたも会社もハッピーに

指示あるいは依頼のあった仕事のうち、自分ができる分だけ「イエス」を言って受け取り、残りの分は「ノー」を言って断ること。 
長い目で見れば、そうすることで、自分自身の自由と精神的、肉体的健康を守ること。
その方が、最終的には、組織にも最大の利益をもたらすのです。
 
何故なら、あなたが自由で健全な精神を失い、ストレスを溜め込んで健康を損ねることは、組織の業務能力に大きな損害を与えることになるからです。
つまり、「ノー」が言えなくて仕事を抱え込むことは、結局は、あなた自身だけでなく会社にも依頼や指示した人にも損失を与えるわけです。
 
言い換えれば、ふつう、会社という組織は、従業員の各人に、各々の能力や時間的限界を超えない範囲で仕事をしてもらうことによって、最大の成果をあげるように作られているものです。
例えばブラック企業のように、限界を超える範囲で仕事をしてもらうことによって成果をあげるようにデザインされていれば、その組織は遅かれ早かれ崩壊します。

「ノー」と断ってもリスクは小さい。

あなたが、依頼されたことを全部、当たり前のように受け入れて、その結果100点の評価を得た、という場面があったとします。
同じ場面で、うまく断れる人は、依頼されたことのうち、半分は得意じゃないからと断って、残りの半分だけ、得意だからと言いながら喜んで受け入れます。
そして楽しく短時間に高いレベルの成果を上げて、かえって依頼した人の高い評価を得るということは良くあることです。
得意なものだけ喜んでやれば仕事の結果も高く評価されて当然です。
得意でないことを断ったことによって、結果として、高い評価を得るのです。
逆に、何でもかんでも断らないで引き受けてしまい、その結果どれも結果が出せないという事が大いにあり得るのです。 
断ったらマイナス点がつくのではないか?という心配は当然ですが、そういう心配をする人は、断るよりも、断らないで何でも引き受けてしまうことの方に、より大きなリスクがあることを知らないのです。

「イエス」の対象を選ぶ

どの人も持っているエネルギーや時間は限られています。
集中できる対象は選ばなければなりません。
 
これに対して頼む人は、何でも頼んできます。
ほとんど思い付きと言ってもよいでしょう。
社長も、管理職も、お客さんも、部下も、家族も。
頼む人は、断られても、そのために絶望して、自殺するわけでもありません。
あなたが断ってもすぐに他の人に頼むか、替わりの方法を考えるはずです。
その場合の方がかえって依頼した人の問題を、早くスムーズに解決するかもしれません。
 
それはあなたの問題では無いのです。
あなたは責任も義理も感じる必要はありません。 
 

「良い子」を演じず、自分の価値を生きる

ノーと言えない、良い子でいたいというのは、親の躾や先生からの教育のせいです。 
誰か他人にとって良い子に見えるように振る舞う自分から、脱却することを目指ししょう。
「ノー」と言える人間は、自分なりの「イエス」「ノー」のはっきりとした基準を持っています。
ぶれない自分を持っていて、それをにして「イエス」「ノー」の切り分けをするのです。
 
あなたが「イエス」と言って受け入れるのは、自分にとって価値がある、喜びがある、快さがあるときだけにしましょう。
 
明日、あなたは死ぬかもしれないのです。
そうでなくても、じきに、確実に死ぬのです。
断りたいのに引き受けてしまった仕事に、限られた時間とエネルギーを費やす?
そのうえストレスをため込む?憂うつな気分と引きずって生きる?
人生、そんなもったいないことはしてられないでしょう?
断固として、自分がやりたい、自分の為になる、自分にとって重要であるものだけに「イエス」を言いましょう。

この記事のまとめ:「ノー」と言おう!


● 「ノー」と言えない「良い子」を演じる自分がストレスを溜め込む!
● 「できない」「やる気がない」ことには「ノー」と言おう! 
● 相手の期待値を下げておこう!
● 相手の要求は、あなたの問題では無い!
● 断ることで、あなたも相手も会社もハッピーに!
● 断ってもリスクは小さい!
● 人の頼みは思い付き。それはあなたの問題では無い!
● 「イエス」「ノー」はっきり切り分け!ストレスから逃れ、自分の価値を生きよう!

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